視察・・・
高校3年になる上の息子が今年ナント受験である。
かねてより、「教育に金をかけるつもりナシ」、「塾なんか行かずともヨシ」、
「義務教育を過ぎたら自分の好きにしてヨシ」、
「どうか男は男らしく自分の信ずる道に生きよ」とか何とか言って育ててきたが、
今回、センター試験というものを受けるという。
義務教育ではない「大学」に行きたいという。
しかも、T大に行きたいという。
見上げたものである。
立派なものである。
いやしくも息子自ら決めたことである以上、素直に応援してやりたい。
と言う事で、昨日、当方極めてヒマなので、誰ともなくドライブに行かんか~と誘っていたら、
上の息子が、「ちょっと気合を入れるためにT大を観たい」、とのたもうた。
不肖;「その心意気や壮とす」とすかさず賛同、衆議一決、即刻二人して東名高速を一路東京へ。
時に午後1:45。(・・・・・・ちなみに、全く同じ愚行?を昨年2月にもやっておる)
午後3:00、ナビの予告どおりにT大に到着。
もともと「観に行く」だけが目的だったので、いざついてみたら、何もやることがない。
息子はそれなりに気合が入って、面白がっておるが、当方極めてヒマである。
仕方がないので、医学部および病院周辺のトイレなどに入り、T大生と、いわゆる連れションなんぞをしているうちに、はたと、売店を見つけた。
しかも、そこには、『T大学土産 T大学饅頭』というのぼりが立っている。
さっそく、なかにはいってたずねると、ありました。
饅頭10個いり、お値段;消費税込みで2,100円。
ゲッペイと栗饅頭みたいなものが各5個ずつ入ってのこのお値段です。
う~ん・・・いささか高い、といわざるを得ない。
いささか高い、といわざるを得ないが、不肖、<土産>というものに極めて弱い。
その手の名のつくものを目にしてちょっと迷うと、約3秒以内にはほとんど間違いなく買ってしまっている。
あと、<スーツ・ネクタイ>にも弱い。これも迷うこと3秒以内で買ってしまっている。
あと、<自動車>にも弱い。これも迷うこと3秒以内で決めてしまう。
いつぞや、ある車を購入したときなど、妻に「コンビニでものを買うみたいにそんなに簡単に決めていただきたくない」と、モーレツに抗議されたことがあった、と記憶しているくらいである。
それとあと、<電化製品>にも弱い。
特に弱いのが<パソコン系>。これには特に弱い。
・・・・・・・・・と、ここまで『弱い』ものを列挙してみて、意外な事実に気がついた。
実はここに上げられたもの、すなわち、<土産><スーツ・ネクタイ><自動車><電化製品><パソコン系>であるが、これすべて、不肖がおのおのの商品について<全然知らんモノ>ばかりではないか。
いいかえれば、買うか買うまいか迷ったときに自ら判断することを可能にするだけのその商品に対する「商品知識」を不肖が兼ね備えていない商品ばかりなのである。
それゆえ、スーツや電化製品・自動車は、店員の勧めるものを勧められるままに購入してしまうのである。
じつは、迷うことすらしていないのである。
当たり前である。知らんもんは迷えないのである。
よって、男らしく迷うことなく3秒以内に決めてしまい、男らしく関係各方面からのご批判を真正面から正々堂々受けて立つこの人生なのである。
・・・・・話がだいぶそれてしまい、何が本論であったか・・・いささか心もとなくなってしまった。
本日は、いささか『いささか』という言葉が多いような気がするが、単なる気のせいだろうか?
T大学視察後、直ちに湯島天神に急行したのであるが、本日はチト、いささか長くなったので、その件は後日ということで、これにてお開きにしたい。
以上
ラーメン博物館
昨日
何年振りであろう
ラーメン博物館に行った
ま 正確に言うと
新横浜ラーメン博物館である
かつてまだ30台の昔 飛込みで 新規受注を果たした
かつての顧客である
昔は不肖の客であったが
今は不肖が客である
堂々と 心行くまでラーメンを楽しんでもヨイノデアル
全然OKである
と 言うことで
今回は 福岡県代表;『福ちゃんラーメン』を食すことに・・
不肖としては 本当は 和歌山県代表;『井出商店』のとんこつしょうゆか
熊本県代表;『こむらさき』の濃厚とんこつ味を食したいと思っておったが
小学3年の息子のたっての願いなので致し方なく
正調とんこつ博多っ子ラーメンになっちゃったんである
待つこと45分
紅しょうが・ゴマ・黒胡椒・にんにくチップ、
いずれも超タップリ入れての一気食いであった
一日、誰と会うということもないので
にんにく臭プンプンでも
一向に構わないのである
おかげで大変うまかったのであるが
おかげで大変太平楽な日々を過ごしておるので
ちと 体重が気になりだしている
人生の過去最高体重59kg超えでも
イッチョ 目指して見ようかとも考えている
テーマは<ラーメン行脚>にデモしようかと思ったが
幾人もの先人たちがやっておるので
甚だ面白くない
よって 本日より
暇に任せて この種のテーマを考えてみる
以上
新春を寿ぐ・・
皆様 あけましておめでとうございます
愈々2006年の始まりである
新年のご挨拶とは 普通は1月1日という決まりになっているのであるが
不肖、本年の元旦を妻の実家;山口県は宇部市の老父母二人の旧家で迎えたのである
なんといっても『旧家』であるので
パソコンというものがないのである
よって 新年のご挨拶が本日と相成ったしだいである
なにとぞご了承いただきたくお願いするしだいである
しかし、しかしである
田舎の飯のなんとうまかったことか
そもそも実家の最寄り駅は JR宇部線;常盤駅
駅のホームから 眼前に瀬戸内の凪いだ海が見渡せる風光明媚な土地である
新鮮な瀬戸内の魚介類が不味かろうはずもなく
山口産の牛肉は言わずもがな
みかんなど食べ放題
また、義母の作る五目寿司の美味さ
義父の作る漬物で朝から軽くご飯3杯はカタイ
小学3年の下の息子と今回は二人旅であったが
合計6kgは太ってしまいましたね
イヤー
住むならやっぱ<田舎>である
などと考えているうちに
2006年1月4日である
世間では「仕事始め」
相場は「大発会」
愈々始動するのであろうが
不肖 本年度はいまだ始まらぬ
ゆるりと
福井県永平寺において座禅デモするか
四国88箇所巡りデモするか
いずれにせよ
雲水にでもなろうか
ま ひたすら 風まかせではある
富士山~沼津へ
一昨日、朝9:00
突如、「富士山を見に行く」ことに
下の息子と衆議一決、一路東名高速に。
海老名SAでポルトガルのメロンパンを購入、
御殿場・裾野で雪化粧まだきの冨士の勇姿を横目に見つつ、
沼津の千本浜公園に到着。
背後に冨士を見ながら、一面の砂浜にて、
冬の一日を、息子とただひたすら海を見ていた。
小一時間ほどで、それにも飽きたので、
二人で、千本浜にある
『若山牧水記念館』に立ち寄る。
男高橋はホットミルクティ、小学3年の息子は、餅2個いりのお汁粉を。
思えばこの沼津の千本浜は、29年ぶりであった。
高校2年の頃、友人Mと二人して、三島からこの沼津へ、
井上靖の文学の旅をして以来であった。
往年の文学少年のひたぶる感傷の、小旅行ではあった。
ちなみに、「友人M」とは、男の子である。
相手が「男の子」であることが、悲しいのか、いじらしいのかは、判然としない。
とにもかくにも懐かしい青春の一こまであったことは間違いない。
『若山牧水記念館』で、10枚一組¥500の絵葉書を購入。
その中で気に入った歌を以下掲載する。
山に来てほのかにおもふたそがれの
街にのこせしわが靴の音
牧水記念館の書斎跡に残った、徳利とぐい飲みが、
在りし日の詩人を偲ばせていた。
再開・・・
約1週間前に最終回を宣言しておきながら
はや、前言を翻して、このブログを再開することにした。
なんといっても「前言を翻して」しまうわけなので
<男らしくない>、<女々しい>などと
一部、ご批判の声が上るであろうことは、ハナからわかっておる。
ただ、この一週間、
昔の友人たち、不肖の密かなシンパの皆様がた、
はては、地元の若い衆等々、関係各方面から、甚だありがたいことに、
このブログ再開に向けての多くの期待と熱望の声をいただいてしまった。
確かに、「前言を翻す」という行為それ自体は、男として恥ずべき行為であるかも知れぬ。
しかし、「期待を裏切る」という行為は、男にとって、それ以上に恥ずべき行為であり、
最も”情けない”行為でもあろう。
不肖高橋、人に対し、方便としてのウソ・イツワリは人生何度もついたことはあるが、
「裏切る」という行為は、
天地神明に誓って、断じてしたことが無い。
よって、本日より読者諸兄の「熱いご期待」にお応えすべく、いわば<パートⅡ>とも呼ぶべきこのブログを再開し、不肖高橋、今後は”男高橋”になる決心をいたしました。
ま、前回の<パートⅠ>を『熱血編』とすれば、
ま、今回の<パートⅡ>は『さすらい編』ということにでもなろうか・・・・
明日より、可能な限り毎日更新しようと思っている。
以上
最終回・・・・・
突然ではあるが
今回をもってこのブログは最終回である。
毎度、この不肖高橋の戯言にお付き合いいただいた読者の方々には
心より感謝申し上げている。
思えば、5月に極めて発作的に始めて以来およそ8ヶ月、
読者諸兄とともに風雪に耐え、艱難辛苦を乗り越えてきた歳月を思えば、
頬をつたう涙を禁じえないのは、不肖だけであろうか・・・
最終回に当たり、それにふさわしい話題をと考えたが、
もとより文才・教養ともに不足がちの不肖に思い浮かぶのは、
やはり自分自身の周りを取り巻く雑感しかない。
以下、少々長文になるが、今しばらくお付き合い願えれば、望外の喜びとするところである。
中国の詩人、劉芝延(?)の詩の一節に下記のようなものがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
年年歳歳 花相似たり
歳歳年年 人同じからず
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その心は、毎年毎年この梅ノ木は花が散っては咲き散っては咲き、尽きることなく咲いてゆく。
しかし、その梅ノ木の下を通り過ぎてゆく人々は、また来年帰ってくる人もいよう、通り過ぎたまま帰らぬ人もまた、いるはずだ。
花は、変わることなく咲き乱れてゆくのに、ただ人は、過ぎ行くままに帰らぬ人もいるだろう。人こそは、無常の中に、常に身をゆだねている。
およそ、こんな大意になろうか。
今、僕はこの詩句のなかの「花」を「企業」に
「人」を「社員(ひと)」という言葉に置き換えて考えてみようと思っている。
ひとは、ある一つの企業に青雲の志を抱きながら、そこで懸命に働いてゆく。
自分自身のため、愛するものたちのため、その志を成就せんがために。
しかし、何時しか人の心の中に何らかのちがう小さな焔が燃え始める時、人はその企業から離れてゆく。
あるものは、また帰ってくる時もあろう、しかしほとんど多くのものは、行きて帰らぬ遠い道のりを歩んでゆく。
人が生きてゆくというものの真実がそこにある。
しかし、それでも企業は存続してゆく。
半永久的に存続してゆく、否、存続しようとしてゆく。
そして、実際に真実存し続ける起業こそが、偉大な企業といえるのではなかろうか。
あらゆる人々の、それぞれの人生を背負いながら、身悶えながら、のた打ち回りながら、歯を食いしばって生き残ろうとする企業こそが、真の「偉大な企業」足りうる。
「ひと」と「企業」の関係の実相とは、かくの如きものかと考えている。
読者諸君、人生とは、常に自由であるべきであろう。
会社に縛られることなど、毛頭ないはずである。
だがしかし、己の人生のすぐ傍らに、ともに戦い抜いた会社とその社員にどうか思いをはせてほしい。
自戒をこめて、この最終回を、敬愛すべき読者諸兄に捧げる。
いつの日か、この広いネットの大海原でまたお会いできる日を願いつつお別れをしたい。
どうかお元気で、さようなら。
・・・・・・・・・・・・・・・・ 2005年12月20日記
相場・・・・
昨日
某大手外資系証券会社M社の元専務にお会いした
かつて
自らバブルを演出し
自らバブルの紅蓮の火の粉をかぶった人物である
その方曰く
「今は、決してバブルでは無い」
とのことであった
くわしい事情はここでは割愛するが
その結論は 甚だ説得力に富んだものであった
ソノ人物がおっしゃる以上
多くの人々は そう考えているはずである
しかし
相場の格言にもあるではないか
人の行く裏に道あり花の山
う~む
今の相場をどう観るか
・・・・・・・・・・
ここは いったん腰を落として 静観すべきか・・・・
一期一会・・・
・・・・・・・・・・・
一期一会
・・・・・・・・・・
逢うは別れの始めなり
・・・・・・・・・・
花に涙のたとえもあるさ さよならだけが人生だ
・・・・・・・・・・
人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり
・・・・・・・・・・
2005年・・・残すところ・・・・あと、17日・・・・・・・・・・
相場・・・
株式相場が活況を呈している
もうほとんどバブルである
年内にも16,000円の大台に乗る勢いである
あの世紀の悲観論者;ドイツ証券のM氏でさえ
2006年、年央に16,000台は硬いといっている
間違いなくバブルである
何を隠そう不肖高橋も 実はこの幾に乗じて 暴利をむさぼっておる
この一年 連戦連敗を重ねてきたが
乾坤一擲F社で勝負に出て
見事 本年度の負けを一掃
よほどのことがない限り
勝利を確定しようとする勢いである
が、しかし
巷間広く言われておるように
相場には
3つの「坂」がある
①上り坂
②下り坂
③まさか
この③の「まさか」が問題なんである
この坂に足を取られると
それこそ 洒落でもなんでもなく
マッサカサマに奈落へ転げ落ちてしまうことは
いくつもの愚かな歴史が証明するところである
心して ことにあたらねばならぬ
心して 「まさか」に備えねばならぬ
と、いうことで
来る12月26日月曜日AM10:00
招待状の来たF社の株主総会に参加するべく
本日より気合を入れる
以上
歳月・・・
この会社に入って
8年4ヶ月の歳月が過ぎた
その間
ともに戦い
ともに笑い
ともに泣き
ともに飲みかつ歌った仲間たちよ
君たちはどこに行ってしまったのか
ビョウビョウと風が吹きすさぶ
暗黒の空の下
気が付けば
荒れ野に佇む たった一人の自分がいる
・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが私のふるさとだ
さやかに風も吹いている
ああ おまえは何をしてきたのだと
吹き来る風が 私に言う
中原中也