テレビ・・・ | オジ記

テレビ・・・

最近、テレビ番組を見る機会が急激に増えた



考えてみると、このブログにおいて、テレビ番組についてのよしなしごと


と言った視点で論じたことがないことに


いま、ハタと気がついた。


思えば、朝早く出て、夜は遅くまで仕事、かつ大量の飲酒を心がけてきた以上


テレビなど見て面白がっている暇などなかったのである。


全く持って、いやはや・・・全く・・・の人生であった。



ところで、そもそも、ヒトはなにゆえに人生において、テレビを見るのか?



先ほど、ふと『面白がってるヒマ』などとい言う言い回しをしてみたが


単純に言って、テレビとはもともと「面白い」ものである。


では、『面白い』とは、もともとどういうことに由来しているかというと、


日本神話において、天照大神が閉じこもっていた天の岩戸から姿を現したときに


そこの集まったストリップ見物の八百万の神たちの顔(面)を


天照大神(太陽)が白く照らしたと言う古事による。


これが、『面白い』という言葉の語源である。


もともとは、皆でひとつの同じものを『観る』という行為をさしているのであります。


しかるに、現在の各家庭においてはどうだろう?


一部屋に一台のテレビなど当たり前、パソコンだって一人一台当たり前である。


みんなでヒトツのものを見るなんて状況は考えられんのである。


つまり『面白い』状況などありえないのである。


かかる状況においてこそ、


不肖高橋、一言物申し上げたいのである。


子供部屋で一人こそこそとファミコンをやっとるソコの中学生!


グラウンドに出でて、皆とともに白球を追いかけよ。


そして泥だらけになって、夕暮れ遅くまでぶったおれるまで汗を流せ。


ぶっ倒れたまま、皆で見つめる砂塵の彼方のあの夕焼けが、どんなに美しいことか!



安アパートで一人コタツに潜り込んで、下らんサスペンス番組でも見ているソコの青年!


街に出よ!書を捨てて待ちに出よ!


行くところが無ければ、新宿歌舞伎町に行け。


なすところなく、さまよいあえるモノたちの集う酒場に紛れ込め。


猥雑で無意味な喧騒の中にこそ、君の安住の場所があるはずだ。


来るか来ぬかわからぬ明日を夢見る若者たちの、


得体の知れぬナニモノかが、あの紫煙の彼方に見えるはずだ。



?・・・・・・・ここまで書いてきて、文脈がやや錯乱状態にあることに気がついてしまった。



論旨を戻したい。


はたして、テレビは面白いものなのかどうか、もしくは、現在のテレビ番組に面白いものはあるのか?


明日より、本格的にその検証に入りたいと思う。



以上