オジ記 -2ページ目

納豆焼きそば・・・

今朝新聞で読んだのであるが、


どこぞのブログで、今、


『納豆焼きそば』 なるものが流行っているらしい。


どういうものかというと、


ま、読んで字の如しである。


ただ、注意すべきは、『焼きそば』である。


その新聞の記事には、明確には書かれていないが、


どうやら、インスタント焼きそば、


しかも、カップ焼きそば、


さらにしかも、『ぺヤングソース焼きそば』 が望ましいようなのである。


理由はわからぬが、どうやら『ぺヤングソース焼きそば』なのである。



話が若干横道にそれた。


そもそも、そは、いかなるものか。


記事を転記してみる。


「かきまぜた納豆を焼きそばにいれ、さらによくまぜるという。こんな冗談みたいなのアリか。

アリだった。納豆のにおいは消え、ねばりの糸が根毛のように絡みつく。カルボナーラ・ジャポネーゼとでも呼びたい味。」


<カルボナーラ・ジャポネーゼ>


う~む。言いえて妙かもしれぬ。


う~む。美味かもしれない。



直ちにやってみるべく、これより、スーパーにゆき、


『ぺヤングソース焼きそば』 と 『小金納豆~3パック¥98~』 を購入したい。



はまるかもしれない。



もともと、不肖高橋、やや凝り性のところがあり、


とくに食い物については、かなり凝り性である。


何といっても一番すごかったのは、


学生時代、卒論を書くため、下宿にこもりっきりになったときの話である。


なんと、約一ヶ月あまり、毎日<おでん>ばかり食っていた。


なにより<おでん>のすばらしいところは、一回作ってしまえば、食う端から、具を足していけばよい点にある。煮込めば煮込むほど味がよくなるため、一ヶ月たっても、というよりも、時間がたてばたつほど本人が飽きなければ美味くなるのである。ゆえに、手間いらずで、しかもおいしいのである。

確かに、はまるはずである。


ま、これなど、「凝っていた」 というよりも、「便利だった」 といったほうがよいかも知れぬが・・。


ま、結構ひとつのことをやりだすと、つずくほうなのである。



さて、『納豆焼きそば』・・・・これも、はまるかもしれない。


これを読んでる読者諸兄にもお奨めできるかどうか、


ほんじつ、昼、くってみるつもりである。



そうそう、お奨めといえば、かつハマッテいると言えば、今現在下記ふたつのことにハマッテいる。


①料理・・・牛・豚・鶏肉サラダ秘伝ドレッシング掛け


②入浴剤・・・水嶋屋「死海の塩」


これらについては、近日中にお話したいと思っている。


特に①については、読者必読のマル秘情報である。


また、②についても、近来まれに見るスグレモノである。


どちらも期待していただいて結構である。



以上




























シリーズ仁義なき戦い~博打編~①

いよいよ新シリーズの始まりである。


当初は、月曜日から始めるつもりであったが、


こんなに遅くなってしまった。


では、何故今日まで書けなかったのか?


以下、各曜日ごとに理由を示す。


①月曜日:モーツァルトのCDを買って部屋で聞いていたらそのあまりの美しさにとても『博打』どころではなくなってしまった


②火曜日:ヴィヴァルディのCDを買って部屋で聞いていたらそのあまりの優しさにとても『博打』どころではなくなってしまった


③水曜日:赤ワインを買って部屋で飲んでいたらそのあまりの美味しさにとても『博打』どころではなくなってしまった


と、まあ、かような具合である。


ここまで書いて誰しもきずくであろうが、


ことほどさように『博打』などというものは、


あらゆる事象の後回しになるくらい、


世の中にとってドウデモイイものなのである。


いたって優先順位の低いものなので、たいしたもんじゃないのである。


が、しかし。


しかしである。


人類は、ネアンデルタール人のころには、博打とおぼしきことをすでに始めちゃっていたんである。




では、何故そんなにたいしたものでもなく、ドウデモイイものが、


悠久のときを経て、かくも長きに渡り人類史の中に書き加えられておるのか?


その辺のところを、次回から追求したいとおもっている。




以上




















惨敗・・・

昨日、朝9:50、JR新宿駅東口交番前にて、オトッツァン4名が集合。


わき目も振らず、徒歩3分の雀荘に直行。


9:59 開戦。


それより、不休の7時間ぶっ通し、半ちゃん、数えること12回。


壮絶のバトルの結果は、惨敗であった。


細かい試合経過を此処に記すのも、おろかにも馬鹿馬鹿しいので詳しくは述べぬが、


まあ、簡単に言えば、試合に勝って勝負に負けた・・・といったところであろうか。


すなわち、最終の純粋な点数では、+40であって、本来は勝っていたのであるが、「チップ」の数で260点も負けてしまったのである。


「チップ」については、これも細かく書くと馬鹿馬鹿しいので割愛するが、簡単に言えばゲームに関する諸罰則に何回も引っかかってしまって、減点が多すぎてしまったとでも言えようか。


焼き鳥、裏ドラ、どぼん・・・・・・ETC。


それらの細かい取り決めが、不肖が今までに体験したことがないくらい多く、これらを理解して、慣れ、かつ実戦の中ですばやく対応できるまでに、前半戦の体力を消耗してしまったといってもいいだろう。


前半戦を終えたところで、早くもチップを50枚(500点)近くも失っており、後半戦の大きなハンディキャップになってしまっていたのである。


さすがに、最後の半ちゃん4回はシブトク勝ち抜いたが、前半戦の借金があまりにも響いていた。


結果は、トータル220点の負けである。


試合には勝ってはいたとはいえ、負けは負けである。


悔しい、実に悔しい。


なかば、接待マージャンとはいえ、やはり、負けは悔しいのである。


憂さ晴らしのつもりもかねて、勇躍新宿にまで乗り込んでの敗北である。


まあ、マージャン自体は非常に楽しく、自分自身好きであるので、たしかに憂さは晴れたかもしれんが、敗北の悔しさが新たに残ったため、何をしに行ったのかワカランくらいである。


突然ではあるが、あまりに悔しいので、新たなる憂さ晴らしのため、あす月曜日より、新シリーズを始めることにした。


題して、


「オジ記の仁義なき戦い~博打編~」


はなはだダサい題名だとは苦笑しながら、もう宣言してしまった以上後には引けまい。


かっこいい題名が思い浮かんだら、すぐにそれに変えることを読者諸兄に断った上で、


予定通り明日より新シリーズを始めたい。


こうご期待!




以上










血戦・・・

久しぶりの更新である。1週間以上のご無沙汰であった。

その間、何がどう忙しかったということもなかったのであるが、何と無くあわただしかったのである。


ということで今日は気合を入れて書くことにする。



本日、朝9:50、JR新宿駅東口交番前で、待ち合わせである。


なんといっても<待ち合わせ>である。


では、一体 「誰」と<待ち合わせ>であるのか。


①妙齢の淑女・人妻、あるいは未亡人 (年齢:38~40歳)


②それなりの然るべきOL (年齢:28~30歳)


③コザッパリした女子大生風 (年齢:20~22歳)


④渋谷辺りにいそうな女子高生 (年齢:ズバリ16歳)


まず、①の場合、何やらヤバイ香りがする。アブナイといったほうがよいかも知れぬが、お互い酸いも甘いもかぎ分けた者同士であろうから、問題ないような気もする。でも、『不倫』である。


次に、②の場合、何と無く 「社内恋愛」風である。これもヤバイ。やはり、『不倫』である。

(ま、不肖は、根本的に妻子もちであるので、どういう対象であろうとも『不倫』となるため、以下この文字は割愛する)


では、③の場合はどうであろう。これも、またしてもヤバイ。これは、一回一回、『金銭』が発生しそうな感じがする。イワユル、『援助ナントカ』というやつである。よって、非常にヤバイ。


さて、チョー問題なのは最後の④の場合である。

これは、ヤバイどころか、マズイ。年齢からして、自分の子供と見られてもおかしくはなく、その意味では不肖の道徳観が問われかねない。それは、マズイ。

そして、何よりも、女子高生と<待ち合わせ>をするという行為自体が、すでに半ば犯罪のような気がする。

しかも、その待ち合わせ場所が、『交番前』 である。

お巡りさんに見つかれば、タダチニ女子高生は「補導」、不肖は「逮捕」である。

何といっても、一番、目立ち、かつ、「マズイ」パターンである。


以上、いずれの場合も、多くの問題をはらんでいるのである。


では、どのパターンであるのか。



実は、どのパターンでもないのである。



それでは一体『誰』と<待ち合わせ>ることになっているのか。


実は、男なのである。不肖も含めると、何と合計4名の<待ち合わせ>なのである。


すなわち、そのメンバーは、


男Ⅰ:M生命支社長 (年齢:48歳)


男Ⅱ:M生命部長 (年齢:約50歳)


男Ⅲ:Z社常務取締役 (年齢:およそ52歳)


男Ⅳ:プー高橋 (年齢:46歳=おそらく最年少)


以上4名である。


平均年齢は、・・・・・・・割愛する。


とにかくこの4名で、朝9:50に待ち合わせて、それから雀荘にシケコモウという話なのである。


だから、何のヤマシイことはないのであるが、女房は不満であるらしい。


女房:「何を好き好んで、休みの日に、9:00から待ち合わせるのよ」


不肖:「間違ってもらっては困る。9:00にはあらず。9:50である。」


女房:「どっちにしたって、朝っぱらからマージャンなんて・・・」


不肖:「間違ってもらっては困る。決して朝っぱらではない。9:50集合ではあるが、なんだかんだいって戦いが始まるのは10:30頃である。10:30といえば、夏の高校野球甲子園大会準々決勝で言えば、第2試合開始の時刻である。決して<朝っぱら>などではない。」


などと、くだらないことを書いてるうちに出発時刻が近ずいてきている。


行かねばならない。そして勝たねばならない。


結果は、またご報告したい。


いざ、血戦。



以上

















夢・・・・

来るはずのないもの


もう会うこともない人々


過ぎ行く遠い日々


夢は枯野に帰ってゆくのか



   冬の国から 南の国へ 便りが届く


   壊れた夢に しがみつかずに 早く帰れと


   夢はまだ 覚めてないから しばらくここにいる


   覚めてないのに 覚めた振りして 無理に出す返事


   幻よ 早く 消えてくれよ


   乾いた笑顔は 僕には似合わない


             泉谷しげる: 『寒い国から来た手紙』




逮捕・・・

堀江さんが逮捕されてしまった


異例の速さと世間では言っているようだが


どうだろう



彼とは


2度ほど顔をあわせたことがある


言葉を交わしたことはないが


「今日、堀江君きてたよね・・・すごいんだよ彼。」


なんぞというう言葉をかつての同僚たちが


交わしていたのを覚えている



なんとなく残念ではある



が、しかし、


○新たな価値の創造


もしくは


○新たなマーケットの創出


という精神が


<ベンチャー魂> であるならば


「買収」「買収」で組織の肥大化のみを


自らの企業価値に置き換えてしまった


堀江氏の誤謬は弾劾されねばならないだろう


決して逃げも隠れもできない窮地に落とされてはいるが


立ち直りのための絶好のチャンスでもあろう


・・・・・・・・


などと、悠長なことを言っておられるのも今のうちである



時がたてば


今回の一件で


大損ブッコイタ株主連中が


『株式投資はあくまで自己責任』 という大前提などかなぐり捨てて


迫ってくるはずである


それから、逃げとうせることは


到底考えられない


ご苦労さん、お疲れさん


と言う言葉しか浮かんでこないのが現実である



いずれにせよ かつての「堀江君」は


現代の経済社会(株式社会?)


の法律と倫理のはざまの


深い陥穽にはまり込んでしまったことには間違いあるまい



あまり君ほどの能力がなくても


しかし、世の中の倫理・道義を健全にわきまえている成年男子であれば


それは、けっして陥ることのない陥穽なのに・・・
























魔坂・・・


やはり


『マサカ』 は、あったのである




ここまで快進撃をつずける 株式相場


俗に言う、『IT』銘柄の一方の雄


ライブドアに激震が走った



相場においては


ことの真偽が問題なのではない


報道されてしまっている以上


「疑いがもたれている」と言う事実が一人歩きしてゆくのである



そこで問題となることは


報道されている内容が


相場にどのような形で反映され


どの程度の影響があるのか


と言うことの一点のみである


もうすでに


本日唯今においては


ライブドアが滑ろうが


堀江社長が転ぼうが


そんなことはどうでもよい過去のことなのである



相場においては


過度の感情移入は


敗北の原因となりかねない



冷徹なものだけが


勝ち残ってゆくのである




不肖高橋


本来は むしろ


滅び行くものへの哀惜の念やみがたいタイプの人間であるが


致し方ない


今回は


心を鬼にして


ことに処したい



繰り返そう


相場とはそういう場なのだ



























テレビ番組シリーズ②

現在、NHK朝の連続テレビ小説:『風のハルカ』にはまっている。


正確に言えば、


『風のハルカ』それ自体ではなく、


主人公の


『水野ハルカ』 にはまっている。


そしてもっと正確に言えといわれれば、


『水野ハルカ』それ自身ではなく、『水野ハルカ』 を演じている


<その女優> にはまっている。


はまっている割には、


<その女優> の名前を知らないと言うのはいかがなものか?と、問うてはいけない。


いいのである。


名前などしらんでも、ファンはファンなのである。


何故ファンなのか?と問われれば


そういう聞かれ方には、わからんのである。


どこがよいかと問われれば、


う~む、


①清純そうなところがよい


②ハツラツトシタトコロガよい


③髪形がよい (・・・・現在の巻上げではなく、ストレートヘアの頃の髪型である)


④しかしながら、イヤリングもチャーミングである


主な理由は以上の4つになるか


そこで


では、①~④のなかで、どの理由が一番であるか?と問われれば、


迷うことなく④を挙げたい。


誰がなんと言っても④を一番に挙げたい。


もともと、イヤリングの似合う女はヨイノデアル


それだけでものすごくオンナをカンジさせるのである。


理由はよくわからんが・・・



ということで、


現在、『風のハルカ』の『水野ハルカ』を演じる<その女優>にはまっている。



そいえば、彼女は、英会話の学校のポスターのモデルになっていたような気もするが・・・



英会話でも習うか・・・・・・?























テレビ番組シリーズ①

正月早々、一番に見た番組の中で


本も印象深かったのは


『志村けんのバカ殿』 であった


中でも、


①優香の『バカ姫』


②柄本明の『大食い』


この二つは笑えた



①優香の正月挨拶:「あまけして、おでめとう」

  これには、小3の息子と二人、腹を抱えてワロタ


②柄本明;「かけそば」あらため「かけさしみそば」、


  これもまた、秀逸であった



見てない人には、ナンノこっちゃさっぱり分かれへん、というところであろうが


それもいいのである


我々にとっては、面白かったんである




ところで、わが家の周辺の住民の間では、


各ご家庭において、


『志村けんのバカ殿』と『クレヨンしんちゃん』は


幼稚園および小学生の子女・子息には見せないんだそうである。


ま、家庭内放送禁止!みたいなものであろう


(ちなみにわが息子に聞いたら、『バカ殿』は毎回欠かさずに見ていると言うことである。いわば、皆勤賞である。エライ!!)


たしかに


番組中、いくつか (いくつも?)、


「観るに耐えない」、いやむしろ「見せるに耐えない」

      (例えば、志村けん扮するバカ殿が、誤って、己の股間のイチモツを湯たんぽのアナッポコに入れ      てしまって、外れなくなってしまったシーン・・・等・・・他にもいっぱいあった・・・etc)


部分があったことは、否定できない事実ではあるが


子供のうちから、しかも、早いうちから


できる限り、品性下劣なものも


子供には見せておくべきであろう


特に男の子は、大きくなって大人になってからは


いずれにせよ、清濁併せ呑まねばならぬ修羅場が


少なくとも人生一度は待っているのである


くれぐれもそのときに備え


親は、こころして息子たちを


正しく育て上げねばならぬのである



よって、わが家においては、これからも


『志村けんのバカ殿』は、バンバン見せる


『クレヨンしんちゃん』の映画が封切られれば、ドンドン映画館に連れてゆく



全く持って、息子の将来が、この上もなく楽しみである



以上

















テレビ・・・

最近、テレビ番組を見る機会が急激に増えた



考えてみると、このブログにおいて、テレビ番組についてのよしなしごと


と言った視点で論じたことがないことに


いま、ハタと気がついた。


思えば、朝早く出て、夜は遅くまで仕事、かつ大量の飲酒を心がけてきた以上


テレビなど見て面白がっている暇などなかったのである。


全く持って、いやはや・・・全く・・・の人生であった。



ところで、そもそも、ヒトはなにゆえに人生において、テレビを見るのか?



先ほど、ふと『面白がってるヒマ』などとい言う言い回しをしてみたが


単純に言って、テレビとはもともと「面白い」ものである。


では、『面白い』とは、もともとどういうことに由来しているかというと、


日本神話において、天照大神が閉じこもっていた天の岩戸から姿を現したときに


そこの集まったストリップ見物の八百万の神たちの顔(面)を


天照大神(太陽)が白く照らしたと言う古事による。


これが、『面白い』という言葉の語源である。


もともとは、皆でひとつの同じものを『観る』という行為をさしているのであります。


しかるに、現在の各家庭においてはどうだろう?


一部屋に一台のテレビなど当たり前、パソコンだって一人一台当たり前である。


みんなでヒトツのものを見るなんて状況は考えられんのである。


つまり『面白い』状況などありえないのである。


かかる状況においてこそ、


不肖高橋、一言物申し上げたいのである。


子供部屋で一人こそこそとファミコンをやっとるソコの中学生!


グラウンドに出でて、皆とともに白球を追いかけよ。


そして泥だらけになって、夕暮れ遅くまでぶったおれるまで汗を流せ。


ぶっ倒れたまま、皆で見つめる砂塵の彼方のあの夕焼けが、どんなに美しいことか!



安アパートで一人コタツに潜り込んで、下らんサスペンス番組でも見ているソコの青年!


街に出よ!書を捨てて待ちに出よ!


行くところが無ければ、新宿歌舞伎町に行け。


なすところなく、さまよいあえるモノたちの集う酒場に紛れ込め。


猥雑で無意味な喧騒の中にこそ、君の安住の場所があるはずだ。


来るか来ぬかわからぬ明日を夢見る若者たちの、


得体の知れぬナニモノかが、あの紫煙の彼方に見えるはずだ。



?・・・・・・・ここまで書いてきて、文脈がやや錯乱状態にあることに気がついてしまった。



論旨を戻したい。


はたして、テレビは面白いものなのかどうか、もしくは、現在のテレビ番組に面白いものはあるのか?


明日より、本格的にその検証に入りたいと思う。



以上